インドその2

 

 

 



 

 

 

 
トラックがいちいちカッコいいのだけど何処で撮ったのか思い出せないシリーズその2。解脱への道。
ほらやっぱり観光客が立ち入らないようなところにも踏み込みたいじゃないですか。僕らの住むこの世界では旅に出る
理由があり、誰もみな一度は道を踏み外してみたいと思うじゃないですか。そんな僻地をフラフラ歩いた記憶がこう
時系列に座標上にマップとしてインプットされてなくて、レイヤーみたいに縦軸にバラバラに積み重なっているせいで
何処なのか思い出せないようです。ここからあそこまで一体どうやって移動したのか記憶が繋がらないところもある。
最後の写真はベランダの彼方に白い世界遺産タージ・マハルが見えるので、北インドのアーグラだと思い出せるけど、
たぶんこれはオートリキシャ(インドの3輪タクシー)の運ちゃんに騙されて連れてこられたホテルのベランダから
撮ったやつです。地球の歩き方に載ってたタージ・マハルすぐ脇のホテルまでと頼んだのに、ぜんぜん違うホテルに
連れていかれて「ここじゃない!」「ここだよ。」「タージ・マハル見えないけど!?」「すぐそこに見えるよ。」
と二階に案内されて見えたのが遥か彼方のタージ・マハルだった。ここから歩くと軽く2時間ぐらいあるんじゃ・・
ノープロブレムと彼は言う。たいていインド人がノープロブレムと言うときはプロブレムなんです。このころはまだ
インド初心者だったので、とにかく文句を言って指定したホテルまで運んでもらったけど、いつもオートリキシャに
乗ると頼んでもいないホテルに連れていかれたり、欲しくもないカーペット屋に連行されるオプションがごくふつうに
ついてくるものだからその都度文句を言うハメになる。でもそのうち頭がおかしいのはインド人じゃなくてもしかして
自分がおかしいんじゃ?と思うようになり、これは自然の摂理に違いない、そういうインドの胡散臭いことすべてが
あらかじめ用意されたアトラクションのように思えてくる。別に寄り道したっていいじゃない。ホテルだってわざわざ
自分で探さなくても勝手に連れてってもらえるのだし。そう考えると自分で探すのが面倒になり客引きやリキシャの
運ちゃんに案内してもらうようになった。でも値段交渉だけはぬかりなくやった。日本円でいったら10円20円
程度のことで粘ってたと思うけど、インド人にとって10円が大切ならこちらも10円に敬意を払って妥協しない。
うまい棒1本だってガチなんです。本来商売ってこういうガチな触れ合いが原点じゃないですか。機械みたいな店員が
バーコードってピッってやってありがとうございましたって便利は便利だし客も店員も互いの人格無視っぷりも気楽
だけどもモノの価値みたいなことを考えなくなる。機械みたいな笑顔が0円ですって言われたっていらねえよと思うし、
インドにマクドナルドやコンビニがないことはとても素敵なことだった。今は都市部には普通にあるのかもしれない。
タージ・マハルはホテルに着くなり早速中まで入って見て来たのですけど、それはもうただただ圧倒的に美しかった。
胡散臭くて土臭いインドと純白で非現実的な宮殿のコントラストにクラクラした。インドはどんなことにせよ両極の
コントラストがすごい。ブッダが王族の暮らしと苦行者の両極を体験したように。結局タージ・マハルはこの蜃気楼
みたいな1枚しか撮ってない。