今日の多摩川 秋深し隣はなにを

河原でぼんやりしていたら警察の人が声をかけてきた。自転車の不法投棄と間違われた。
「自転車じゃなくて、この世の未練を捨てにきたのです‥というか、アナタにはワタシが見えているのですか!?」
と言おうとおもったけど止めました。警察の人に声をかけられたのは久しぶりだった。
このまえはナイフの所持検査。そのまえは薬物検査。20代の頃は自衛隊の勧誘だったり
宗教系の手かざしで貴方の幸せを祈らせてください、っていうアレ(大きなお世話)だったり。
いわゆるワルそうな人というよりも、拠り所のない浮遊霊みたいに見えるせいじゃないかとおもう。
ときどき目が泳いでいるし(無意識に被写体をサーチしている)社会的に浄霊しなきゃいけないと思わせる
ナニかが染み出ているとか?でも最近はおばちゃんにも道を聞かれるようになったので少しずつ人間に
近づいているみたいです。ぜんぜん地元じゃないのに地元の人のように聞かれてしまうってことは、
足が地についてきたってことでしょうか。だいたい外を出歩いているときは透明人間のような心境なので、
自分が誰かに「見えて」いるということにすこしギョッとしたりする。「見えて」いるというのは、
単に視界に入っているという意味ではなくて、なんというか突如、世界がリンクするということです。
都心の雑踏にはあんなにたくさんの人がいるのに、まるで誰もいないような気分になるのは棲んでる
レイヤーが違うからです。