彼女について私が知っている二、三の事柄



 
気づいたらはてなに移転して丸一年経ってました。消えてしまった以前のブログとあわせるともう丸5年!?続いた。
続けようと思って続けたわけではなく、続けることに意義があるからとか日記は平安貴族のたしなみだからってわけでもないの
ですけど、なんとなく続いてる。平安時代の文化史を読んでたのですけど、紫式部清少納言が同時期に天皇の宮廷に勤めてて
清少納言が辞めた後に紫式部が入れ替わりでやってきた。二人は直接対決したことはないけれど、紫式部はライバル心むきだしで、
清少納言をあの高慢チキ女!と日記にボロクソ書いてたらしい。清少納言がほんとうに高慢チキだったのか近寄り難い気品がそう
感じさせたのかわかりませんけれど、2人とも実際の素顔はナゾに包まれているので作品から想像してみるに、春はあけぼの♪ と
詠った清少納言は森ガールで、光源氏のヤリチン日記を書いた紫式部は盛りガール、という単純な対立図式が自分の頭の中で形成
されてました。どっちがタイプかと聞かれても難しいものがあるなあ。清少納言も賢いぶん裏の顔がありそうでなんとなくこわい。
枕草紙は教科書でおなじみですけど、源氏物語を原文で読んだことなどあるわけもなく江川達也のマンガバージョンか現代語訳を
ちょっとかじったぐらいなのでその深さも良さもよくわからないのですけど、江川達也のマンガを読んだだけだとほんとうにただの
ヤリチン男がひたすら女の品定めとファッションチェックをする日記みたいにしか読めなくてぜんぜん別の意味で源氏物語パネェ・・
って感じなんですけど、古典の名作を現代語訳で読んでもピンとこないのはその意味内容や解釈よりもエクリチュールそのものの
魅力なんだろうと思った。それは訳すと容易に壊れてしまう。平安時代の書き言葉そのものが現代ほどロジカルじゃなくてもっと
音楽に近い感覚っていうかエロスみたいなのがあったのかなあ、平安貴族も変態だよなあって。でも現代でも誰かのテキストを
読むとき無意識にエクリチュールで嗅ぎ分けてるところもあって、そこの肌触りが違っていたらどんなまっとうな内容だろうと
ダメな人もいればすごく下品な内容でも心地よい人もいる。てか、ただのテキストに肌触りとか言いだすぐらいインターネットが
友達なのは問題かもしれないですね。ええ