春のもやもや


 
うろ覚えなんだけど友達の爺様の戦争体験談。戦時中、ジャングルの前線部隊として送りこまれながらも無事生還した爺様の話
なんですけど、そんな未知の恐ろしいジャングルに行くとしたらやっぱり食料とか水とかそういうものを確保することを真っ先に
考えるじゃないですか。少しでも生き延びるために。その爺様はそれよりもまずジャングルの原住民の言葉を翻訳できる辞書を
探して用意して持っていったらしい。いずれなくなってしまう食料や水よりも爺様はジャングルの原住民とコンタクトを取って
言葉を交わすことを最優先にしたと。結果として片言の現地の言葉を話す奇妙な日本人は、原住民に受け入れられることとなり
ジャングルで生きる術を学び無事生還することができたとさ、ちゃんちゃん。なんて書いてしまうとよくできたお伽噺みたいに
聞こえなくもないけど、まあ恐らく想像を絶するサバイバルだったんじゃないかと思う。「生きる知恵」的なことが書かれた
本が巷には溢れてますけど、いまの僕たちが置かれている状況はジャングルでサバイバルするのとはちょっと訳が違うってのは
確かなんですけど、情報のジャングルで情報に無感覚になりそうな情報不感症の時代で「価値」を発見するってことがだんだん
難しくなってる気がするなあって。そこで何かに出会えるだろうかってこと。若い人たちが自分のやりたいことがわからない・・
なんて話を聞いたりしてそりゃそうだろうなあってふつうに思ったりもする。それはハングリー精神とヤル気がないからだって
叱咤したりする上の世代がいるけど、戦後の焼け野原からみんなで豊かになろう!てイデオロギーを共有できた時代とは次元が
違うっていうか、生まれたときにもう何もかもすべてがあったということイコール生まれたときには何もなかった(終わってた。
ロックもとっくに死んでた。)というのに等しくて、何もないというよりなにもかもがフラットで方向感覚がないっていうか、
大新聞の言説も見知らぬ誰かのつぶやきも何処かの偉い人の言葉も近所の爺さんの言葉も聖書も便所の落書きも情報としては
ぜーんぶ等価なわけだから。そんなところでどんな「価値」を拾い集めたらよい?何が欲しい?そもそも「価値」ってなんだろ?
てなことを考えたりするのは中2病が治ってないからなのか春だからなのかしら。