ゲイジツの秋

 

 

 
 
2010年度文化庁メディア芸術祭の公募の締め切りが迫ってますよ。今月24日まで。
今年は3年ぶりの出展目指して仕事&プライベート作品もろもろエントリーしてみた。
入選して出展が決まればお知らせしますけど落選だったら黙ってるのでそっとしておいてください。
 
芸術は芸術でも現代美術はよくわかんないっていうひと多いとおもいますけど、映画評や音楽評はだれでも
書くのに美術評を書く人はほとんどいない。美術の文脈(コンテクスト)を理解している一部のひとの知的な
ゲームなので、すごく不親切で閉じられた世界だからなんだろう。アートは考えるんじゃない感じるんだ!
っていわれたって文脈がどうのコンセプトがどうだのいわれたら、わかるわかんないって話になってしまう。
なんだかわかったようなフリで鑑賞しなくちゃいけない、見えないのに見えているようなフリをしなくちゃ
いけない、裸の王様的な心理的圧力が美術館やギャラリーにはありますね。いっそのこと王様(アート)は
裸だ!って叫べばいいとおもうのですけど。遡ること100年前、美術展にただの小便器を出品してそれまでの
格式高い美術の枠組みを外し文脈を覆したマルセル•デュシャンはすごいなあパンクだなあ、とはおもうけど
同時にデュシャンなんてただの便器じゃん?ともおもう。デュシャン以後の美術はひたすら便器(=死)を
目指して死んでも死に切れない感じで今に至るのですが、メディア芸術祭が比較的いい線を狙っているなと
感じるところはアート、映画、漫画、アニメ、ゲーム、web・・もろもろクロスオーバーさせているところ。
デュシャンの時代とは違うベクトルで枠組みを外そうとしているところ。それこそ今の時代感覚なのでは。
Twitterや拡張現実のARみたいな技術も日常、非日常、二次元、三次元、四次元・・とクロスオーバーさせて
いくだろうし、遠い未来あなたとわたしは溶けてひとつとなりコミュニケーションは不要となることでしょう。