ネパール

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
1枚目の写真はネパールのポカラという街に行商に来ていたチベットの人たちです。標高の高い所に住む人たちの色彩感覚って
空気に濁りがないせいなのかビビッドっていうかチベット人はお洒落なので目立つ。チベット人は日本人みたいなアジア顔で
ネパール人は眼光鋭いコテコテ顔のインド人に似てますが、みんな概ね穏やかでジェントルで観光客慣れした感じです。
twitterで店に客がこない!て泣き言を書いてた弱気なネパール人もいたけれど、あんな地の果てみたいな土地からやってきて
どうしてそんなに弱気なのか理解しかねるけれど、店に行列ができるようになったらなったでちょっと休みます・・ってまあ
行列とは無縁の土地からやってきてそら耐えられんだろなとふつうに思う。日本人はすぐ飛びついてすぐ飽きるから釣る餌も
手を替え品を替えいろいろ用意しなきゃいけないのだけど、そんな資本主義の超高速サイクルについていけるのかあの素朴な
店長が心配です。客の出入りなんてヒマラヤを流れる雲ぐらいに思っていればいいじゃない。人生なんて浮き雲みたいなもん。
 
ネパールの首都カトマンズで数日過ごしてふと思い立ち、カトマンズから西に約200キロ先のポカラ行きのツーリストバス
という名のオンボロバスに乗ったのですけど、まず空いてる座席などないので荷台のようなところに腰掛けたら足下にヤギが
ぐいぐい乗り込んできてメェメェ泣いてて、いきものバンザイ!みたいなノアの箱船具合で未舗装のガタガタ道を行くバスの
天井に頭をゴンゴン打ち付けながら、これはなんの苦行ですかohマイブッダと耐えていた。ガードレールなどない断崖絶壁の
狭い峠道をトラックとぎりぎりでスレ違うのだけども、もし万が一バスが転落して死んだとしてもそれは自己責任じゃないかと
諦めがつくぐらいの壮大な景色だった。なんの保障もないということが自由であり保障を求めるほど人は不自由になるのです。
ガードレールの先は保障しませんよ!?という脅しが社会に溢れている。年をとるほどガードレールの先を怖れるようになる。
そんなバスに8時間も揺られてたという事実にいまさら思い出しても驚くのだけど、つまり8時間もかかってポカラに着いた。
なにもないポカラで「なにもしない」ことをするという有意義な時間を過ごし、キツい帰りのバスのことなどを考えないように
筋斗雲で帰りたいなあと雲の上のヒマラヤ山脈を眺めていたら、ホテルのオヤジに船で川をクルージングして帰らないか?
といわれその優雅な提案に飛びついた。で、早速乗り場に行くと目の前にある船はどう見てもゴムボートであり、あのこれって
もしかしてファイトー!!一発!!でやってるような激流下りのスポーツなのでは・・?と疑問を持つまでもなくラフティング
だったので、ラフティングなどという言葉を英語ではじめて聞いたものだからよくわからないままOKしてしまったのだけども、
ボートが転覆することもあるから濡れて困る荷物は預けろとのことでカメラを取り上げられ、代わりにオールとライフベストを
手渡されました。乗り組み員はネパール人ガイド1名、日本人の自分1名、英語圏の国籍不明カップル2名、ユダヤ人女子2名、
ユダヤ人のおっさん1名、つまりこのツアーは出エジプト記といってよい。はじめは自分で勘違いして参加したくせにこんな
くだらないレジャーをやりにきたんじゃねえ!ディズニーランドでやってろ!という憤慨した気持ちもどこかにあったのだけど、
川の水をザブンザブン浴びるわ、みんなで川に転落するわ、パンツまでびっちょり侵されてしまうと頑だったATフィールドも
溶けてしまい、もーラフティングちょーサイコー!!みたいな壮快な気持ちになるのだから流れには乗ってみるもんです。
おまけにシャルロット・ゲンズブールみたいなユダヤっ子に淡い恋心という煩悩まで生じてしまったので出エジプト記だった
はずのツアーもB級ホラー映画の前フリみたいになった。その一方で日本人嫌いなのかなんなのかユダヤのおっさんに根拠なく
嫌われていたのだけど、このおっさんがボート乗り場で日本製カメラの使い方がわからず困っていたようなので教えてあげよう
としたら、うっせアッチ行け!シッシッみたいな態度で、これがホラー映画ならまず真っ先に殺されるのがこのおっさん。で、
最後まで生き残るのがユダヤっ子という自分、という妄想で激流を乗り切ったわけですけど1日の旅が終わって川辺にボートを
引き上げてキャンプをするとき、さりげなくユダヤっ子の隣にテント貼ろうとしたらそのおっさんがのこのこやってきて2人の
間にムリヤリ割り込むようにテントを貼った。深夜にジェイソンが現れてこのユダヤのおっさんを退治してくれないかな・・
と思いました。