梅盆栽が咲いたよ







 
部屋に置いておくとすごくよい香りがする。一年育ててみて「桜切るバカ梅切らぬバカ」の意味が経験としてわかった。
がしかし、わかったからといって美しい樹形に育てあげるというのはまた別の話。そのレベルにはまだまだ到底及ばねえ・・
ということもわかった。だいたい買ったときの樹形のほうがより美しくて花もこの倍ぐらい咲いてましたからね。
その道の達人が手を入れたものは全然ちがう。梅は花が終わったら根と枝をかなり大胆に切ってしまうのだけども、
切らないと間延びしたスカスカな樹形になってしまい、花も枝の先っちょにパラパラと咲くだけになってしまう。
どの枝をどこで切るのか?それを見極めるのが難しい。そこにどんな小宇宙の法則が働いているのかまったく筋がよめん。
春になると切ったところの下から枝分かれして新しい枝がものスゴい勢いでニョキニョキ伸びてくるのだけれども、
その時点でもう流れと勢いに任せるしかない。あとは肥料のタイミング。西洋のガーデニングと大きく違うなあと思うのは
自然を整理整頓して幾何学的かつシンメトリックにまとめようとする征服欲みたいのはなくて、なんつーか樹形の流れを読み、
季節を読み、手を入れるタイミングを見極める。自然に敬意を払う。そこに生まれる偶然の美。それこそが東洋の盆栽道よ
ふぉふぉふぉ・・なことをクドクド語っていると近所のガキからクソじじいとか呼ばれるようになるのではあるまいか。
そんな偏屈なクソじじいがいつも独りぼっちだった少年と妙な縁で知り合い、たまたま少年の姉をギャングから救ったことで
助けてくれたお礼にと少年の家のホームパーティーに招き歓待された。彼ら家族の温かさに親しみを覚えたクソじじいは、
少年に一人前の男として仕事を与えてやろうとする。塀のペンキ塗りだとか家の修理を覚えさせる。だがそれを快く思わない
ギャングらが少年にさらなる嫌がらせを加え、顛末を聞いて激昂したクソじじいは空手でギャングのメンバーに報復する。
これに対してギャングらは一矢を報いようと少年の家に銃弾を乱射し少年の姉をレイプする。復讐に燃える少年を落ち着かせ
報復の連鎖に終止符を打つべくじじいは、少年を部屋に閉じ込め単身ギャング達のアジトへ。マシンガンを構えるギャング達に
素手の空手で真っ向から立ち向かう。じじいが剛柔流の構えをとろうとしたその刹那、ギャングの放った銃弾の嵐がじじいの
体を突き抜けていった・・横たわりながら意識が薄れていくじじいに遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
もうすべてが終わった。憎しみの連鎖を絶ったのだ。あの1972年製の盆栽は少年に託した・・なにも心残りはない。
そんなじじいのヒロイックなラストはちょっと正直どうかとおもいましたよ。そんな劇的である必要あったのかなあ。
途中までよかったのになあ。心温まるヒューマンストーリーかとおもってたら西部劇かよみたいな。
盆栽の話かとおもってたらグラン・トリノかよみたいな。あ、ベスト・キッドも少し混ざってる。