ポニョトンネル

 

2010年1月


2008年10月

ポニョが通るのをイヤがったトンネル
 
 
ときどき人間の気配がまったくない死体遺棄にピッタリな寂れた峠の林道に自転車で行ったりするのだけども、
ハァハァゼェゼェしながらもうダメ逝きそう、イクーとか独りつぶやきながら心拍限界MAXで急坂を登っていると
だいたい30分も経つと意識がボンヤリしてきて、視界に入ってくる森の緑が溶けだしてきてシシ神が現れたり
妖精が迎えにきたりはしないのだけども、ちょっとした何かの境界線に触れたような気分にはなる。
途中で休めばええやん?アホかとおもうのだけど頂上まで絶対に足を着かん!とかヘンな縛りと意地があったり、
どうせなら一気に昇天したいじゃない。おしっこが漏れそうか写真撮るときは止まるけど一度ゆっくり休んで
しまうとフニャフニャと心が折れやすいし、そのあと気が遠くなるほど頂上が遠く感じたりするもんです。
たぶん本格的に山登りとか好きな人って、死ぬかもしれない!と思うときが実は一番生きている実感が湧いてくる
みたいな境界線をよく知っていて、ものすごい崖っぷちとかその境界ぎりぎりで戯れているようにしか見えないの
ですけど、境界線ギリギリまでイキたくても踏み超えたくはないよな。このまえの富士山事故の片山右京なんか
F1でも山でも境界線ばっかり追い続けてきたひとなんだろう。
寂れた峠道の中でも途中に漆黒の闇トンネルがあるところを何か所か知っているのだけど、峠の頂上がトンネル
っていうのはよくあるパターンなんですけど、日中じゃないと通るのは絶対ムリってぐらい冥界ぽい雰囲気抜群で、
もし夜に通ったりしたら抜けた先は異次元に繋がってそうな感じがちょう怖い。ただでさえ接地感の薄い自転車で
真っ暗闇を通過していると平衡感覚が危うくなったり進んでいるのかいないのかわからなくなるし、日中でさえ
トンネルを抜けた先は一見いつもと同じ世界のように見えるけど実は微妙に違うパラレルワールドなんじゃないか
と思ったりするぐらい。というようなことをこのまえポニョのトンネルシーンを見てて思い出した。
宮崎先生ぐらい片足を棺桶に突っ込んだような歳になるとふつーに半分アッチの世界に逝っちゃってるとしか
おもえなくて、割とトンネルの向こう側が見えてるからポニョみたいな作品になるんじゃないでしょうか。
よく大先生といわれる人の晩年の作品が地獄絵図のようだったり極楽浄土のようだったり、だんだん浮き世離れ
してくるのはもうトンネルに差し掛かっているんじゃないかって。以前、横尾忠則の近作を見た時なんですけど、
滝のシリーズ、Y字路のシリーズ、と続いて温泉のシリーズを描いていて日本の原風景みたいな不思議なところで
裸の女の人が温泉に浸かっている桃色絵画だったのですけど、あー横尾先生もとうとう半分アッチの世界に逝って
しまわれたと思いました。ちょっと幸せそうだった。