義理と寛容と竜宮城




LACOSTE
 
去年の義理チョコは恐竜の化石チョコで今年は蓋を開けるとワニが横たわってた。もうひとつ玉手箱を開けるとカメだった。
偶然なんだろうけど申し合わせたように爬虫類ばっかり。冷血動物っていいたいのでしょうか。
カメのほうはカメを囲むように貝が並んでいてなんだか竜宮城みたいだった。そこは乙姫様のいない竜宮城・・
なによりフリーランスにとって切実なのは義理が頂ける程度にまだ社会と繋がりがあるってことなんですけども、
つまるところ人次第じゃないですか。誰とも接しないなんて日がザラにあるし、仕事のアウトプットのシビアな評価が
あるだけで、叱ってくれる人もいないしヨイショしてくれる人もいないし助言をくれる人もいないし肩たたきしてくれる
上司もいないし膝枕で耳掃除してくれるメイドもいないしハイヒールでグリグリ罵ってくれる女王様もいないので、
ときどき自分がよくわからなくなってくるのですけど、ジョン・C・リリー博士のアイソレーション・タンクみたいに
外界の刺激をシャットアウトしたところでプカプカ浮いてると自己を規定するものがなくなってなんとなく溶けてくる。
他人は自分を写す鏡とはよくいったもので、それで久しぶりに生の人間の言葉の波動に触れたりするとおぉーってなって、
ちょっとあやふやになってた自我が一瞬でカキンと固まって反応するのがよくわかる。そうくるかーみたいな。
いま振り返ると会社員時代は居心地のいい環境で甘やかされていて周囲の寛容さにただただ感謝するばかりなんですけど、
人に頭にくることがあったとしてもたいてい自分を振り返ればなにも言えなくなる。そろそろ近頃の若い連中は!云々と
説教しなきゃいけない年頃なのかもしれないけど、自分の若い頃もトリプルアクセルぐらいねじくれていたのでだいたい
若者に対しても許せないことなんてほとんどないもんなあ。青くて世の中舐めてるぐらいでちょうどいいんじゃないのって。
どちらかというと抑圧されたものを何処で発散させてあげるかっていう問題だったり。むしろ真面目でおとなしい良い子と
言われてた人が危ないのはその溜めこんだものをどこで爆発させるのだろって心配になるのですけど、溜め込んだおじさん
にも竜宮城が必要なのはそういうわけです。キラキラしたお魚のおねえさんが棒の回りでクネクネと踊っている竜宮城。