死体とアバター



 
森美術館で開催中の「医学と芸術展」観てきた。医学ってあくまでも人を死なせないため&死ぬまでを扱う学問であって、
死んだ以後は宗教か哲学に任せとけっていうイメージがあるけど、会場は概ね死の匂いが漂っていてメメント・モリってた。
そんな境界線を扱うという意味では、医学と芸術というカテゴリはとても親和性が高いのだけども、芸術からのアプローチは
どうしてもフェティッシュに見える。変態。一時、死体論みたいのが流行った時期があったけど、誰でも一度は自分の死体を
想像してみたりするじゃないですか。シンディ・シャーマンという現代アーティストがいて自分に死化粧を施してセルフ死体
ポートレイトを撮ったりしてた変態女なんですけど、ヘアヌード、ガーリーフォト、篠山紀信の公然わいせつフォト、ときたら
次の波はセルフ死体フォトじゃないでしょうか。ツイン・ピークスのローラ・パーマーみたいに撮りたい!とか。
毎朝、鏡で見慣れた自分の顔を見ながらときどき思うのは「自分は自分である」という奇妙な確信は一体どこからくるんだろ
ってことなんですけど、自分の身体にそれほど強い思い入れがあるわけでもない、かといって嫌いでもない。っていうかむしろ
アバター的にレンタルっていう感覚が強いけど、土に返却するまで80年あればいいなあとか。アバターっていう映画は身体
という器があくまでも意識の乗り物であるってことを端的に表現してみせたわけですけども、自分の身体が嫌いだ!っていう
ひとは溺愛しすぎなんじゃないですかねえ。逆説的に。思い入れと期待が強すぎるから裏切られた気分になるっていうか。
 

医療用デモリール専門のプロダクションなんだけど、なんかもうそういう範疇を超えてる。