anima

 

 

 
anima: ラテン語の霊魂
animation : 生命のないものに命を吹き込むこと
 
映画の本制作に入る前の準備段階をプリプロダクションというのですけど、トイストーリーのピクサーは毎度このプリプロ
膨大な手間と時間をかけてる。キャラ&セットデザイン、各シークエンスのイメージボードをデザイナーが描き起こして
ライティングイメージや配色を検討したり、壁一面にストーリーボードを貼って監督とシナリオチームがストーリー全体の
バランスを見ながら各ショットごとにこと細かく演出を検討したり、だいたいこのプリプロだけで4年から6年近くかけてる。
それでCGの本製作は1、2年で仕上げてしまう。あのまったく隙のないストーリー構成や圧倒的な画力はそこから生まれる。
メソッドが確立されているのでたとえ監督が変わっても映画のクオリティーの精度は一定に保たれるというわけ。
一方、スタジオジブリは大雑把なシナリオ構成だけ決めて宮崎監督がいきなり絵コンテを描きだす。絵コンテを描きながら
考えるのでストーリーは変わるし、物語の結末を監督自身が見えてないことさえある。なので絵コンテとアニメの本製作が
同時進行で公開が迫っているのに絵コンテが終わってない!?なんていうあり得ない芸当をやってのける。一般的にいうと
あり得なくても宮崎監督があえてそういう手法をとる理由もわかる気がする。絵コンテを描きながら仕上がってくる動画を
確認しつつ監督自身がその世界に一歩また一歩とリアルタイムで深く入りこんでいく。そうして物語が自分のイメージを
超えて自律的に動き出す瞬間を、キャラクターが自ら成長していく姿を、そこを捉えようとしているんじゃないかとおもう。
ノッてくると絵コンテを描く手が自動書記のように動きだすんじゃないかと想像してる。ピクサーに比べるとひどく呪術的で
危なっかしい。でもごく限られた期間で奇跡的に物語の深度と厚みを追求するにはそういうやり方しかないような気もする。
ピクサーにはポニョのような映画は作れない。あの波の動き、あれこそアニメーションのエロスだとおもう。でもジブリ
宮崎監督のような後継者を育てられない。なぜならそれはメソッドではないから。アリエッティは脚本を宮崎さんが起こして
いるので大きく外すことはないだろう、でも決定的な何かが欠けている・・そんな印象をもった人が多いんじゃないかなあ。
ていうかトイストーリー3も借りぐらしのアリエッティもまだ観てないんですけど。
 
※ストーリーボードと絵コンテは基本的には同じものですけど、アメリカと日本ではフォーマットが違います。