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小学生のとき、近所に山口さんちのむっちゃんという友達がいた。小さくておとなしくて内向的な男の子。
そんな山口家に一時通い詰めるように遊びに行ってた時期があった。というのも山口家には一種独特の雰囲気があって、
むっちゃんのお父さんが剥製や昆虫標本を集めるのを趣味としていた。お父さんの職業はなんだったのか思い出せない。
ともかくそれをおっかなびっくり眺めに行くのが目的だった。確かお父さんが作った剥製のなかでも一番大きかったのが
タヌキの剥製だったのだけど、その動かないタヌキのパサパサしたマテリアルと不自然なガラスの目玉が少し怖かった。
怖かったけど観察せずにはいられなかった。動物でもぬいぐるみでもない奇妙な存在感。それは何かの抜け殻には違い
ないのだけども、何が抜け出したのかまでは想像が及ばなかった。一方、むっちゃんの趣味はというと手塚治虫の漫画を
集めることだった。本棚を埋め尽くすように初期の作品から近作まで手塚作品がほぼ全巻揃っていて、それを読みに行く
のも目的だった。僕とむっちゃんは剥製と標本を一通り眺めたあと一言もしゃべることなく黙々と漫画を読みふけった。
なかでもお気に入りはブラックジャック火の鳥シリーズと鳥人大帝とアトム今昔物語で繰り返し何度も読み返した。
そこにはあのタヌキの抜け殻から出ていった「何か」について描かれているような気がした。いまでも山口家の独特の
空気とそこで吸収した手塚体験が自分のなかでワンセットで結びついていて、思い出すたびにあの剥製と標本と生命と
宇宙が頭の中でぐるぐるとパラレルに展開する。